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台湾◆‖翹眠峪埔譟‖耋僖リン30周年

 頼さんがホテルに迎えに来てくれて9時過ぎにタクシーで台北花市場に向かう。久し振りの訪問だ。鉢物と切り花とで2つの棟に分かれている。先ずは鉢物棟を見る。圧倒的に多いのは胡蝶蘭。ほとんどは1鉢が300元(1200円)で5本立てだと6千円位。鉢が600元(2400円)。800元というのもある。香りの胡蝶蘭も目に付く。その他、紫陽花、カランコエ、ペチュニア、観葉植物、厚肉植物、サボテン、盆栽など豊富。通路の上に細いチューブの配管が敷設されていて自動でノズルから霧状の水が放たれる。花が乾燥するのを防いでいる。

 親しげに日本語で話しかけてくる女性オーナーは日本の大学(文化大学)を出ていると言う。厚肉植物の寄せ植えが贈答用に良く売れるのだそう。自然木を土台にしている。写真の品は2800元(約1万円)。この手の寄せ植えは多く見た。

 

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 続いて切花棟に行く。2階は資材売場で1階が切花売場となっている。隣接してセリ場がある。20本束の短いバラが70〜150元(280円〜600円)でどこでも売っている。輸入品かと思ったらほとんどが台湾産だそう。1本15〜30円。大輪ガーベラは1本6元(24円)。リシアンサス、キク、カーネーション、カスミソウ、ピンクッションなどのワイルドフラワーなど種類も豊富で安い。カスミソウは染のカスミソウが圧倒的に多い。

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 セリは終わっているが、セリ場を見学。セリは日曜日だけが休みで平日は毎日3時半からやっていて通常は5時半頃までに終わる。輸入花が入る日だけは7時半頃までかかる。以前に本ブログでも詳しく紹介しているが、日持ち試験室も備えている。

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a1 12時に小川典子さんご夫妻、下柳田恵理さん(ガーデン&フラワーデザイン、メディカルハーブセミナー)と待ち合わせして「蘇杭」というレストランで昼食。店名から見ると蘇州料理、杭州料理がオリジンかも知れないが、創作料理とうたっていてミシェランにも入ったそう。昨夜の呑み過ぎが効いているのか余りビールが進まない。

 

a2 食事後頼さんと永楽市場にカラスミを買いに行く。「永久號」という店で台湾への出張時代から買っている店でもう30年以上お付合いしている店だ。ここで面白い発見。青木由香さんと言う人が書いた「台湾 ニイハオノート」というガイドブックに「永久號」が紹介されていて、「・・・頼さんに教えてもらった。頼さんって誰だ?頼さんは面倒見の良い高級日本語通訳だ。日本の大きな会社のシャチョさんが彼女の顧客。頼さんは顧客の社長さんたちにもココのカラスミを紹介している。・・・」とある。ここのシャチョさんとは私のことだそう。笑ってしまった。頼さんは今は通訳や翻訳の仕事をしているが、一橋大学を出て台湾に戻って来られて私と一緒に仕事した時には台湾キリンの企画室を担ってもらっていた。
 

a1 夜は「尚月中華時尚料理」と言う四川料理のレストランで台湾キリンビールの30周年。キリンが主催するものではなく勝手に皆で集まったもの。現役の社員から退職した人まで20名余が集まる。私にとっては1996年に台湾から上海に赴任する時に見送られて以来の人もいる。元気な女性から私を覚えているかと言われて思い出せない。散々嘆かれて叱られる・・・。皆さん確実に50歳近いはずだが若い。

 

 董事長(会長)をやった方(86歳)もお嬢さんに付き添われて出席。88歳になった技術顧問も嘉儀から駆け付けてくれる。私の秘書をやってくれた陳さんも癌の闘病で苦労されたが回復して出席。私は3代目の社長。1代目の社長は3年前に亡くなられている。挨拶で亡くなられたことを伝えて献杯したが、その方を知っているのは3、4人。来れなかった2代目の社長からは長いメッセージ。何本用意してあったのか知らないが、途中キリンビールがなくなってしまう。私の社長時代(1991年〜1996年)は社員が5人から55人に増えていった。私が採用した女性は取締役になっている。台湾もジョブホッピングと言って良い条件の会社にどんどん転職する世界。私の頃の社員も皆残っていて、もう25年以上在籍している。創業の頃の苦労話から倍々ゲームで売上が伸びっていった時代・・・昔話と言ってしまえばそれまでなのだが、大同窓会を皆で楽しんだ。

 

 2次会は7、8人でカラオケスナック。私も珍しくも3曲も歌ってしまう。0時近く私は失礼する。一度ホテルに戻って、届け物もあったので昨日に続いてレストランバー「藤」に行く。キリンビールのスタートは「藤」さんから始まっている。0時(閉店時間)過ぎにお邪魔しているのでマスターとゆっくり話をする。AM1時過ぎホテルに戻る。

松島義幸 * - * 23:56 * comments(0) * trackbacks(0)

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